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カテゴリーアーカイブ: mindblasting Netlabel

Dea Karina – Tidur

 Dea Karina - Tidur Cover

 – Tracklist –
 01. Salam Kenal
 02. Seruling
 03. Bulan Purnama
 04. Subuh di Gunung



 - 01. Salam Kenal


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 Release Page :
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 Release Date : 2017.01.18
 Label : mindblasting Netlabel

 Keywords : Acoustic, Ambient, Dream, Electronica, Shoegaze, Solitude.


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音楽の届け方って色々ある。音楽単体はもちろん、目の前で演奏するのだってそうだし、目の前で演奏しながらも違う映像を見せる場合もあるし、そして全然特別なことではないけれど、音楽に映像を付して共に届けることもある。映像は音楽とシンクロすることもあるし、補完する場合もあるし、新たな解釈を生み出す場合もあるし、全く関係ない(ように思える)ディレクターの嗜好や興味が炸裂している(ように見える)ものもある。映像が付された音楽に私はドキドキ、ワクワクすることが多いんだけれど、それはなぜかと考えると、決して不可分ではない映像と音楽を共に楽しめる、いわば二つの違う味のキャンディを同時に舐めて、さあどんな味がするだろうかと楽しむようなもの、なのかもしれない(そういえば、そういうキャンディ、ありましたよね?)。観賞者がそういう受け取り方をするであろうことを利用して、音楽と映像でアンビバレンスな表現が行われることもあるでしょう。そう考えると、ちょっと話ずれるけれど、音と映像(そしてストーリーというある種の流れ)が組み合わさった映画というのは、あらゆる表現の複合体であり、作り手にとっても受け手にとっても非常に「面白い」表現なのだと解釈できるし、だから音楽の作り手がどういう形にしろ映像や映画という表現に関心を持っていく(あるいは映像・映画の作り手が音楽も共に手がける)、という流れは、素直に首肯できる。

話を元に戻すけれど、映像が付された音楽に私は確かに胸を高鳴らせることが多いんだけれど、その一方で、音それのみを聴いて、眼前、いや脳裏にあるイメージが立ち上ってくるような、その感覚も非常に好きなのです。たとえばある小説が映画化されたときに批判される理由に、“こんなイメージじゃない”というやつがあると思うんだけど、そこからも分かるように、脳内のイメージは往々にして具現化された映像をある意味で超える(それをスカルシネマと表現したのは誰だったか)。分からないことは分かることよりも恐ろしいというか、暗闇が怖いのはそこに何が潜んでいるか分からないからだろう。そこによくないイメージが広がってしまうからだ。と―また話が逸れた、けれどそぎ落とすことはしない。

だから音楽それのみから立ち上がる、明確でない、曖昧模糊としたイメージというヤツがとても好きで、それをもたらしてくれる音楽もまた好きなのです。

さて、インドネシア基盤のネットレーベル、mindblasting Netlabelより。Dea Karinaの作品がフリーでリリースされています。これが初作なのでしょうか。あまり大っぴらに音楽活動はしていないようです。SoundCloudを覗くとElectronicな硬い質感のトラックもあったりするのですが、ここにあるのはAmbient色が強い。Droningな印象もあるサウンドスケープにウィスパーボイスを挿入したスタイルは確かに珍しくはない。M-2では管楽器、M-4ではギターと思しき弦楽器の音が挿入されていて、モヤリとしたウェットな空間の中に出現する、そのAcousticな質感は面白い。

ここで先のイメージの話なのだけれど、第一印象、孤独な風景が浮かんできたのですが、さりとて孤独というどこか後ろ向きな感じも違うかなと思い、このイメージは何というのだろうと頭を捻ったのですが・・・ううむ。そういえば英語でいうところの、lonelinessとsolitudeってどう違うんだろうとネットの力に頼ったのですが(身近にネイティヴな方はいないのです)、“孤独に悩む人は”solitudeとloneliness”の違いを認識すべき”という、ああ前にも読みましたありがとうございますな記事にまたも行き当たる。多分解釈は他にもあるのかもしれないけれど、なるほど私が今作に感じていたイメージはsolitudeだったのだ。1人だけれどさびしくはない。自ら選んだ上での孤独、というニュアンス。だからこうちょっと温かみを感じるというか、冷たい部屋の中で1人で洗濯物畳んでるけど、顔はちょっと微笑んでるみたいな。まあ一人も悪くないよねっていう、肯定的なイメージ。solitary activity。

人里離れた山の中での自給自足の生活、それは決して易しいことではないけれど、どうにかこうにか軌道に乗ってきたようだ。そんな男とたまたま出会う、都会の生活に嫌気がさした青年。ここで暮らしたいという青年に、昔の自分を見るようで、優しさと冷たさをコントロールできない男。男の生活に憧れつつも、最後に青年が出す答えは―みたいな。ま、ステレオタイプだな。


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